“斜めからの関係”で保護者と子どもの架け橋になる。「全部おまかせします」が最上級の褒め言葉
子どもの学力向上において、読解力が重要であることに異論を唱える方はいないでしょう。しかし、読解力はどのように培われていくのか?また、読解力をつけることで学力向上以外にさまざまな副産物があるとしたら?
そして、塾講師の本当の役割とは?
今回は、読書教材「わくわく文庫」と作文による徹底した国語力強化で大きな結果を出している、ファーストステップスの浅原 謙氏にお話を伺いました。
浅原 謙 氏
プロフィール
株式会社ファーストステップス 代表取締役
ファーストステップス+未来塾 塾長
宮城県生まれ、神奈川県育ち。
学生時代に自らのやりたいことは自らの手でないとできない、と勝手な思い込みからスキューバダイビングをはじめ、サークルを設立。同時に、首都圏学習塾にて講師を務める。
5年間の講師生活後、東京都内の飲食コンサルティング会社に入社。飲食店舗の立ち上げ、風土改善、採用・教育と幅広い内容にてコンサルティング業務を行ったのち、2016年3月、合同会社ファーストステップス(2017年に株式会社へ組織変更)を設立、。同時にファーストステップス+未来塾の塾長に就任。
現在、長野県下に3つの塾を展開している。
当初は懐疑的だった「わくわく文庫」
―― 浅原先生はファーストステップスで社長に就任されて以来、わくわく文庫をずっと使ってらっしゃいますが、最初のわくわく文庫の印象はどんなものでしたか?
浅原氏 正直に言うと、意味あるの?とは思ったんです。確かに本を読むことが大事なのはわかるけども、本を読むことによってどういった効果があるのかということが不明瞭だったんですね。結果が数字で現れにくい部分があまりにも多かったのもあって、最初はかなり疑問視していました。
―― それがなぜ、ここまで活用されるに至ったのでしょうか?
浅原氏 わくわく文庫がすごくいいと言って続けてくださる保護者の方もいらっしゃったのですが、何がいいのか言語化できずに試行錯誤していたところ、ターニングポイントになる出来事がありました。
1つは中学校2年生の男子の事例。「勉強は家庭教師とやるけれども、国語力が著しく低いのでそのためにできることを」ということでわくわく文庫を続けている子でした。
その保護者と面談をしたときに「そういえば前は友達とトラブルになったり喧嘩したりしていたのが、最近なくなった気がする」と言うんです。
そこで、本人に聞いてみたら「言葉を知った」って言うんですよ。自分が感じていることを言葉にして伝える事ができるようになったと。
2つめは中学3年生の女子。部活ばかりで勉強を全然してこなかった子でした。模試を受けさせたら軒並み30点代なんですけど、国語だけは偏差値60だったんですね。理由を本人に聞いてみてもわからないと言う。でも「読んでいた文章や小説は難しくなかった」と言うんです。
答える力にはまだ課題はありましたが、読み取る力はついていたんですね。その子が小学校5年生からやっていたのがわくわく文庫だったんです。
これか、と。
わくわく文庫の効果は忘れた頃にやってくるんです。だから言語化しづらいし、保護者に訴求するのも難しいんですね。でも、「わくわく文庫は時間をかけて人間力を鍛えていく要素がある」ということであれば言える。そこで思考の転換が起こったんです。
子どもたちや保護者からの実際の声を、自分たちで作っているチラシにも載せています。
―― そんな大きな転換だったのですね!たしかに語彙が増えると先生の言ってることが分かるようになったと子どもたちが言い始めたというお話はよく聞きます。
浅原氏 語彙もそうですし、情報を収集する要素って、視覚的なものと聴覚的なものと2つあるんですが、わくわく文庫はヘッドフォンをして耳に強制的に情報を入れながら、そのスピードで文字を追いかけていきますよね。音声のスピードを上げられますから、自分の読みやすいスピードの1歩、2歩先のスピードで読むと、制限時間内に情報をすべて読み取る力、つまり問題文を読み解く力につながるんです。
これは、他の教科にもとても有効だと思っています。
大学入試などは、試験問題の量と情報と用語が多すぎて、時間内に問題文を咀嚼することすらできない子も増えてきています。
やはり、読む力がなければ問題を解ききることはできないですから、うちではとくに中高一貫校をはじめ私国立中学校受験を狙う子には必ずわくわく文庫をさせています。
国語力強化を幼い頃からやったほうがいい理由
浅原氏 うちでは、15分作文というのをやっています。400字詰めの原稿用紙に15分で言いたいことをまとめるというものです。公立中高一貫の中学受験対策のためにやっていたもので、受験を考えると、制限時間内に手を動かすことも鍛える必要があるだろうということではじめました。
私は大学入試は1つのゴールとして見据えておく必要があると思っています。
それは 最近の大学入試のトレンドとして必ずプレゼンテーションテストがあるから。つまり、制限時間内にまとめて表現する力が必要になるということです。
たくさん書いていいよって言うと書けるけれど、400字以内にまとめなさいなどと制限を設けられたらまとめきれないという子もいます。そういう、とっちらかってしまった場合に必要なのは「まとめる力」ですね。
本を読む力、書く力、言葉を知る力、考える力、表現の幅を広げる力、そしてまとめる力。国語力は、いろんな力の掛け算ですから、読んで書くということを、例えば小学生の頃から週に1回でもやっていたとしたら、それだけでとんでもない力になるんですよ。
だから、私はそれをやるなら未就学の年長さんから小学校3年生くらいが最適な年齢層だと思っているんです。
―― それはなぜですか?
浅原氏 例えば、算数が苦手な子が答え合わせをしてたくさん✕がついたテストをもらっても嬉しい子っていないと思うんですよ。そう考えると、わくわく文庫を読んでその感想文を書いて、その作文を評価されるのが嫌な子っていうのもいないと思うんです。作文って◯✕じゃないじゃないですか。
本を読むのが嫌いっていう子もいるかもしれない。でも、書いたことが評価されて褒めてもらえる、じゃあがんばろうかな、これならできるかも、という子が多いのは事実です。
そんなふうに、評価されて素直に頑張る理由ができ、気持ち的に成長できるのはやはり幼い時期です。
また、ちゃんと椅子に座って書くという約束事を守れるようになったり、鉛筆や消しゴムを使ったりするということも未就学からできたらベストですよね。
小学校受験なんかももちろんされる方はいらっしゃいますが、本を読んで作文を書くということだとそこまでシビアに◯✕でジャッジされるわけじゃないので、「楽しく国語力を鍛えていこうね」という切り口でお伝えしています。「塾」というくくりだと競合は多いですが、「本を読んで言葉を鍛える」という切り口なら、競合はそこまで多くないという感覚もあります。
最後に自分たちにできることは「いなくなること」
―― 塾経営に関しては、自立学習などではなく、塾の存在意義を強めるために依存度を上げなければ!という考え方の方もいらっしゃいますよね。
浅原氏 自立学習塾の場合は、私は精神安定剤的な要素で使われていると思っています。もちろん、成績を上げる、勉強をするために来ている部分はあるんですが、どこか人とのつながりを求めて来ている子もいるのかなって感じています。
例えば、子どもたちからすると、親は「勉強しなさい」って真上からくる関係です。それって耳をふさぎたくなると思うんですけど、ちょっと離れた僕たちみたいな塾の先生や、あるいはちょっと歳の離れた近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんは、先輩後輩でもなく、斜めからの関係なので、彼ら・彼女らはギリギリ耳は塞がない。
こういう立ち位置でありたいなって思っています。
親の味方100%だと、子どもたちは嫌がるんです。「どうせ大人なんだから」って。でも、だからって子どもの味方100%だと保護者は「何のためにうちの子通わせてるんだ」となる。
私は、生徒全員の保護者と面談するんですね。
だから、そこで保護者には「子どもの肩を持つように見える瞬間があるかもしれないけども、そこは通訳として間に入るので、私を上手に使って子どもとコミュニケーションとってください」と言います。
これこそが見えない信頼関係です。そこも含めて、子どもたちを一切合切お預かりしてるんです。
少なくとも私の最上級の評価は「うちの子全部お願いしていいですか」という言葉。全部丸投げでおまかせします、という状態になったときです。
それは、信頼が100%になってひとつの言葉になって現れた形だと思うんです。
―― 素晴らしいですね!でもそれは親から「依存されている」のとは違いますよね。そこが良い!
浅原氏 私の方針は、鳥で例えるならば、例えばひな鳥は自分でエサを食べられないから親鳥が咀嚼して食べさせますよね。でも、うちの場合はひな鳥が食べられないエサをどうやって自分たちで食べられるようになるかっていうのを考えてるんです。
だから、焼け野原に放り込んでるような厳しさもありますが、結局生徒たちは自分で考えてどうにかしていくんです。だからきっとうちは「塾」らしくないし、塾じゃないって生徒もみんな言います。どちらかというと「寺子屋」のイメージに近いと思っています。
―― なるほど!厳しさを咀嚼せずに伝えてるんですね。
浅原氏 勉強が苦手な子って「わからない」を連発するんです。でも、私の場合は「わからない」だけだと基本的に質問は受け付けません。何がどうわからなくて、どう納得いかないのかまでを問います。
なんでもエサをもらえると思われたら困るので。
私は、最後に自分たちができることって「いなくなること」だと思ってるんですよ。
最後は卒業していく子どもたちに「自分でがんばれよ」って背中を押していなくなることが、私たちが最後にできること。自分たちがいなくなったあとに生徒たちが困ったら、私たちが困ってしまいますから。
塾と警察と病院は、暇であればあるほど良い世の中だと私は思ってるんですよ。